日立製作所における差別争議の早期解決をめざす支援決議

 1986年12月,日立製作所中央研究所に働く12名は,賃金昇格差別の是正を求めて東京都地方労働委員会に救済申し立てを行い,約8年間,63回の審問を行い結審した.すでに,労働委員会では命令作成に着手しており,今秋には命令が出される状況にある.労働組合運動の中心的な活動家であった12名にたいし,中央研究所は,賃金昇格差別や実験の成果の取り上げ,研究報告書から氏名を削除するなどの仕事差別,社宅入居拒否,親睦行事からの排除など,さまざまな差別攻撃を長年にわたり行ってきた.賃金差別では年間500万円を超える驚くべき額に達している.

 1992年10月,日立製作所の日立研究所および日立情報システム事業部で働く2名が,賃金昇格差別の是正を求めて東京都地方労働委員会に救済申し立てを行い,結審も間近である.申し立てた2名は,労組の職場代表である評議員として積極的に活動してきた.二人の組合活動を嫌悪した会社は,例えば篠田氏の場合,日立研究所から東工大に20年間にわたって出向させ,今なお職場からの隔離を続けている.そして,二人に対して中研の場合と同様の極端な賃金・昇格差別などを行ってきた.

 1967年10月,日立製作所武蔵工場から「一回の残業拒否を理由に解雇された田中事件」,1987年6月,情報映像事業部から「工場内に蔓延していたサービス残業を労働基準監督署に申告した佐藤氏に対する報復事件」,1992年3月3日,東京地方裁判所に9名の女性達が「男女の賃金差別の是正を求めて提訴した事件」,1992年10月,茨城の日立工場・国分工場・エネルギー研究所,神奈川県の横浜工場・神奈川工場,愛知の旭工場から各県の地方労働委員会に「賃金昇格差別の是正を求めて提訴した事件」,また,中央労働委員会で「組合間差別の是正を求めて争われている大阪の日立ビルシステムサービス労組事件」等多くの争議事件が日立製作所でたたかわれている.

 1994年11月に開催された日本科学者会議第10回総合学術研究集会の第18分科会「研究者の責任と権利・地位」に多くの参加者の関心が集まったことにもうかがえるように,創造的な研究活動を保障する民主的な職場環境を守り発展させる運動が現在,研究者・技術者にとって重要な共通の課題となっている.

 われわれは日立製作所の,かかる人権無視,民主主義も憲法も歪められている職場の実態に大きな驚きと怒りを感じるものである.日立製作所のさまざまな差別争議を早期に解決するために支援することを,日本科学者会議第30回定期大会において決議する.

                  1995年5月28日

                  日本科学者会議第30回定期大会