JSA

声 明
茨城県東海村核燃料工場(JCO)の臨界事故を契機にプルサ−マル
計画の即時中止を求める

 1.去る9月30日午前10時35分頃、茨城県東海村のJCO東海事業所の転換試験棟で、高速増殖炉「常陽」の燃料用の濃縮度18.8%のウラン燃料加工工程において臨界事故が発生した。この事故によって作業員3人が最大17シ−ベルトという大量の中性子線等を浴び、急性放射線障害により入院し、その他にも救護のために敷地に立ち入った消防署員3人や同社社員など多数が被曝した。敷地境界での高い中性子線量率(最大4.5ミリシ−ベルト/時)は10月1日未明迄続いたが、これは臨界状態が長時間継続したことがを示している。また事故により若干の放射性物質が付近に放出された。この結果事故現場から半径350メ−トル以内の立入禁止、半径10キロ以内の住民約31万人に対して屋内退避の措置が取られた。この圏内の小中学校が休校になるなど市民生活に重大な影響を与えた。さらに通報が遅れたことや、村と県の緊急時対応に食い違いが生じ、住民の不安をつのらせる結果となった。住民の不安にもかかわらず、環境中の放射能汚染データなどはほとんど公表されなかった。
 2.科学技術庁は原子力施設の事故の国際評価尺度で国内最悪の「レベル4」と暫定的に評価し、遅まきではあったが内閣総理大臣を本部長とする対策本部が設置され、また米大統領が直接支援を申し出るなど、事故は国内的・国際的にも極めて深刻なものと受け止められた。
 今回の事故は、@臨界事故である、A住民の避難・退避がおこなわれた、B原子力平和利用において大線量被曝者をだした、という点でいずれもわが国で初めて体験する極めて深刻な事態である。特にこのような臨界事故が発生し、20時間近く継続したという事態は、いってみれば、放射線防護の障壁もなく、放射能閉じ込め容器もなく、制御する手段もない「裸の原子炉」が突然市街地に出現したという衝撃的な事実を意味している。わが国で最初の研究用原子炉(JRR-1、出力50キロワット、現在廃炉)は、約20%の濃縮ウラン化合物の水溶液を球形の容器に入れた原子炉であった。今回の臨界物はまさにJRR-1型の「水均質炉」に他ならない。
 3.事故後の調査によればJCOは会社ぐるみで、国の承認を受けた本来の作業工程を無視した「裏マニュアル」を作り、10年程前から違法な操業を繰り返していた。違法作業を継続していたJCOの責任はもちろん、これを放置していた国の原子力行政の責任は重大であり厳しく追及されなければならない。
 本来原子力施設は人為ミスなどが事故に直結しないように「フェイル・セ−フ」「フ−ル・プル−フ」などの安全装置が施されていなければならないが、今回はこれらの安全装置が全く機能しないという設計上の欠陥が明らかになった。違法の手作業などが行われた今回のケ−スでは「フェイル・セーフ」など働く余地がないという考え方もあるが、たとえ恣意的な操作を行おうとしても、行えない設計がなされてはじめて「フェイル・セ−フ」であると言える。このような不完全な設計を許可した安全審査の責任が厳しく追及されなければならない。同時に、すべての核燃料施設の徹底した安全点検と必要な改善が行われることを要求する。
 4.施設の問題と同時に厳しく問われなければならないのは、安全についての認識の欠落、安全教育の欠如の問題である。核物質を大量に扱う現場では、「臨界事故を起こしてはならない」ということは、片時も忘れてはならない基本中の基本であるはずである。しかるに今回のケ−スでは、現場の作業員から会社の首脳部に至るまで臨界事故にほとんど関心を払っていないように見え、大変驚かされる。かつて原子力開発を始めた頃の初心、「原子力は基本的に危険なものである」という認識が次第に希薄になった結果、このような事態が生じたと思われる。これを契機に原子力に従事するものの安全教育を抜本的に見直すべきであると考える。これまで政府・電力会社などは原子力推進に意を注ぐ余り、ともすれば原子力の安全性を強調し、安全PRを優先させてきた。その結果「原子力は基本的に危険なものである」という基本認識が原子力関係者から薄れるという結果が生じているのではないか。そうだとすれば、それはまさに墓穴を掘る行為である。この事故を契機に電力会社などが安全PRを一時中止したが、一時中止でなくこの事故を機会に本質的に認識を改めるべきである。
 5.この事故で最も注目しなければならないことは、核燃料サイクルとの関連である。多くの反対を押し切って、現在国が強行しようとしている「プルサ−マル」が実施されれば、問題の核燃料製造工程に、危険なプルトニウムが大量に投入されることになる。上に述べた核燃料工場の現状のままプルトニウムが扱われることを考えると、大変恐ろしい。他の会社は事情が異なるという主張があるかもしれないが、現時点では、安全であるとする何の保証もない。
 我々はこれまでも、原子力発電問題全国シンポジウムなどを通じてプルサ−マル計画は次のような技術的困難が山積していると主張してきた。すなわち、プルサ−マルによって生じるプルトニウムはいわゆる「高次化プルトニウム」であるため、遮蔽の難しい中性子などの強い放射線を出し、燃料製造などの工程を著しく困難にする。またプルトニウムを取り出す再処理そのものが技術的に確立していない。さらに取り出したとしても「燃えない」同位体が多く含まれるため、その利用は精々1回で、「リサイクル」というのは謳い文句にすぎない。それにもかかわらず、政府はこうした技術的困難を無視し、解決を先送りして、政治的理由からプルサ−マル計画を強行しようとしている。
 この事故によりプルサ−マル計画の危険性がますます明らかになった。事故の教訓を生かすためにも政府は謙虚に反省し、プルサ−マル計画を即時中止することを強く要求する。

               1999年10月6日
               日本科学者会議原子力問題研究委員会


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